長崎県のお盆の過ごし方│九州エリア│他にはない風習をご紹介します
- 2019.09.26 | 知識
江戸時代の長崎県は、日本で唯一オランダやポルトガルとの交流を許された地域でした。
その名残から、長崎県では和華蘭(日本・中国・オランダ)の文化が混ざり合った異国情緒にあふれる建物を多くみることができます。
また、建物だけではなくお墓に目を向けても他ではあまり見かけない特徴が数多く見受けられます。
代表的なものとして挙げられるのが、カトリック教徒のお墓です。
十字架が施されたお墓は従来の和型のお墓と比べても異彩を放ち、印象的な形をしています。
他県にはない特徴が随所にみられる長崎県は、お盆の過ごし方やお墓参りの仕方にも独自の風習が存在し、長い間伝統として守られ続けてきました。
そこで今回は、特徴的な長崎県のお盆の過ごし方やお墓参りの方法について見ていきます。
お墓参りに花火?
お墓参りといえば、明るいうちに赴き、お供え物をして手を合わせる光景が一般的です。
お墓は厳かで静かなものとイメージされる方が多いのではないでしょうか。
長崎県でも普段のお墓参りでは一般的なお墓参りと特に変わりありません。
しかしお盆になるとお墓参りの様子が一変します。
多くの方が夕方頃になるとお墓に集まり、飾りつけた提灯に火を灯します。
さらに墓前で花火をあげるのです。
花火の中でも線香花火や手持ち花火といった静かなものではなく、ロケット花火(やびや)や爆竹などの派手で華やかなものを用います。
花火代とはお正月におけるお年玉のようなものです。
大人も箱単位で爆竹や花火を購入するなど、長崎県ならではの夏の風物詩があちこちで見られます。
お盆の時期に霊園や墓地に赴くとたくさんの人が居て、あちこちで煙が上がっている光景が見ることができることでしょう。
そもそも長崎ではいつからお盆の時期に花火をあげ、爆竹を鳴らすようになったのでしょうか。
爆竹は中国の四大発明の一つとされています。
中国では、春節を爆竹で派手に祝うことで知られているように催事において爆竹を派手に華やかに鳴らすのが一般的です。
2000年近い歴史を持つ爆竹は、古くから中国において邪気を払うと信じられてきました。
その文化が、江戸時代に日本が鎖国している中、異国との交流を行っていた長崎へと伝わります。
しめやかにご先祖様をお迎えするのではなく、花火や爆竹を用いることで盛大にお迎えするのです。
精霊流し
伝統行事のひとつとして、精霊流しがあります。
長崎県を中心に佐賀県の佐賀市、熊本県の一部地域で行われている行事です。
中でも長崎県では大量の爆竹を用い、派手な音を響かせながら行われます。
初盆ではない場合、精霊船ではなく花や果実などの供物を藁を束ねた菰(こも)と呼ばれるものに包み、流し場といわれる終着点に運びます。
精霊船はお祭りの山車を想起させ、見学に訪れる方の目を惹きつけるとても華やかなものです。
この精霊流しも中国が発祥で、当時、毎年中国人が行っていた彩舟流しが元となったといわれています。
長崎で精霊流しが始まった当初は大波止場にて精霊船に火をつけ、海へ流していました。
しかし、港の中に停泊している他の船に火が移る危険性があったため、火をつけることを禁止したそうです。
その代わりとして花火や爆竹を鳴らすようになったといわれています。
爆竹は魔除けの意味合いを持っているため、精霊船が通る道を清めるとされています。
非常に華やかな行事のため祭りと認識されることもありますが、ご先祖様や故人の追悼を目的とした仏教行事のひとつです。
まとめ
長崎県には他県にはない特色が多く存在します。
特にお盆の時期になると、他の地域の方にとっては驚きの光景が目に飛び込んでくるかもしれません。
爆竹の派手な音で見送る精霊流し、墓前で上げる花火などは、異国文化あふれる長崎ならではの風習です。
ご先祖様を弔うための伝統行事であることを忘れてはいけませんが、お盆の時期に立ち寄られた際には、長崎県ならではの文化を体験してみてはいかがでしょうか。