宮本武蔵のお墓は熊本にあった!武蔵塚公園をご紹介します
- 2020.05.11 | 体験
日本には様々な偉人がいますが、天下無双の剣豪と呼ばれる宮本武蔵もそのひとりです。
巌流島での佐々木小次郎との決闘が有名でご存知の方も多いでしょう。
生涯のほとんどを剣とともに生き、全国各地を渡り歩いた剣術家といわれています。
その宮本武蔵が眠るお墓が九州の熊本県にあります。
なぜ熊本県にお墓があるのでしょうか。
今回は、宮本武蔵のお墓についてご紹介します。
宮本武蔵とは?
宮本武蔵は日本史上最も有名な剣豪で、戦国時代末期から江戸初期までを生きた人物です。
剣豪としての伝説は諸説ありますが、生涯負けなしだったことや吉岡一門との決闘では70人と切り合い勝利したと言われています。
円明流や、そこから発展させた二天一流の開祖としても知られていますが、剣術家以外にも兵法家、芸術家としての一面も持っていました。
兵法の極意を記した五輪書(地・水・火・風・空の五巻)や、重要文化財に指定されている枯木鳴鵙図などの優れた書画が残されています。
天下無双と称された剣豪としてだけではなく、画人としてもすぐれた才能を持った宮本武蔵ですが、熊本とはどのような繋がりがあったのでしょうか。
宮本武蔵と熊本
二刀流の剣豪、宮本武蔵はその晩年を熊本で過ごしました。
肥後熊本藩の初代藩主である細川忠利に客分として招かれ、熊本城東部に隣接する千葉城に屋敷が与えられていました。
当時、高い身分の者にしか許されていなかった鷹狩りを許されるなど、破格の待遇で迎え入れられていたそうです。
細川忠利が亡くなった後も二代目藩主である細川光尚によって、同様の待遇が与えられ続けました。
熊本で過ごす中で、金峰山の霊巌洞(れいがんどう)にて五輪書を完成させ、画や工芸などの芸術に時間を費やします。
剣豪としてさまざまな相手と試合し、全国各地を渡り歩いた宮本武蔵は、その余生を熊本で静かに暮らしていたのです。
霊巌洞は宮本武蔵ゆかりの地として全国各地からファンが訪れています。
宮本武蔵のお墓
宮本武蔵の墓所はひとつではなく、いくつも存在します。
熊本県外にも存在していますが、熊本市だけでも数か所あります。
中でも熊本市の武蔵塚が特に有名です。
熊本県熊本市にある武蔵塚公園(通称:武蔵塚)に宮本武蔵は眠っています。
武蔵塚公園
〒861-8007
熊本県熊本市北区龍田弓削1丁目3
10台停められる無料駐車場が完備されています。
園内には二刀を携えた宮本武蔵の像が建てられており、今まで多くの人々を出迎えてきました。
日本庭園や茶室など趣のある静かな公園は、憩いの空間として地元の方をはじめ県外からの旅行客にも親しまれています。
常時開放されており、緑に囲まれた自然豊かな公園です。
時を忘れてゆったりとくつろげるため、ほっとひと息つきたいときに訪れてみてはいかがでしょうか。
春になると花見をする人で賑わい、夏になると水遊びができることから、子供を連れた家族の遊び場にもなっています。
宮本武蔵の遺言
宮本武蔵は遺言を遺しています。
その内容は躯を葬る際に甲冑を着せてほしいということと、参勤交代が見える街道に葬ってほしいという内容でした。
これは細川忠利・細川光尚への深い忠義から、死してなお、参勤交代の行列を見守り続けるためといわれています。
実際に宮本武蔵が亡くなった際、籠手や脛当てなどの武具を帯びた武装姿で葬られました。
そして当時、参勤交代の主要道として行き交っていた大津街道沿いにお墓が建てられたのです。
以後廃止になるまで、参勤交代の行列が宮本武蔵のお墓の前を行き来した回数は100回を超えるといわれています。
宮本武蔵が亡くなる直前、細川光尚は参勤交代のため、総勢2700人を超える大行列で江戸に向かいました。
これは細川藩における史上最大規模といわれています。
宮本武蔵は細川光尚が帰る前に亡くなってしまいますが、一行が帰路につく際、生前の願い通りにお墓から行列を見守ることができたのではないでしょうか。
まとめ
偉人のお墓は全国各地にありますが、宮本武蔵のお墓が熊本にあることは意外に思う方もいるかもしれませんね。
そのお墓は大変雰囲気の良い自然豊かな武蔵塚公園の中にあります。
宮本武蔵のファンはもちろんのこと、人々の憩いの場として親しまれている公園です。
偉人のお墓を見ることは、普段墓地や霊園でお墓参りするのとは違った趣があります。
ぜひ足を運んで、宮本武蔵の人物像に思いを馳せながら武蔵塚公園を散策してみてはいかがでしょうか。