骨壷のサイズ|骨壺の素材|骨壷の歴史をご紹介します

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故人を弔うとき、用意するもののひとつが骨壷(骨壺)です。
骨壷とは火葬後にご遺骨を納めておく入れ物のことを言います。
 
素材としては陶磁器でできているものが一般的ですが、その他にも木製やガラス製、大理石製など用いられている素材は多岐にわたります。
 
また、骨壷のサイズも直径2寸(約6cm)から、大きいものだと直径1尺(約30cm)の物まで様々です。
今回はサイズや素材、使われるようになった歴史など、骨壷について詳しくご紹介します。
 

骨袋イメージ画像

 

 

 

骨壷とは?

そもそも骨壷とは何なのでしょうか。
文字の通りお骨を入れる壺で、ご遺骨を納める入れ物のことを指します。
 
明治時代初期まで、一般的な葬法といえば土葬でした。
現代ではほとんどが火葬されるようになり、ご遺体は荼毘に付されます。
 
火葬されて残ったご遺骨を埋葬することになりますが、その際に用いるのが骨壷です。
現在ではご遺骨を骨壷にいれて、お墓や納骨堂などの施設に安置するのが一般的です。
 
地域によっては骨壷を使用せず、火葬されたご遺骨をそのまま土に還す場合もあります。
 

 

骨壷のサイズ

火葬後、ご遺骨を納めるために用意する骨壺ですが、サイズは地域によって異なります。
一般的に東日本では総収骨されることが多く7寸サイズ以上、西日本では総収骨されることが少ないため6寸サイズまでが多く用いられているようです。
 
骨壺のサイズは2寸から1尺までの9種類があります。
1寸=約3.03cmです。
 
サイズは地域による違いのほか、用途によっても異なり、一般的に2寸~4寸は分骨・手元供養をする際に用いられます。
5寸~尺寸は納骨用とされており、8寸・尺寸は合祀する際に用いられることが多いようです。
 

2寸 主に分骨・手元供養
2.3寸 主に分骨・手元供養
3寸 主に分骨・手元供養
4寸 主に分骨・手元供養
5寸 主に西日本で使用
6寸 主に西日本で使用
7寸 主に東日本で使用
8寸 主に東日本や合祀用
1尺 主に合祀で使用

 
骨壷サイズ表
 
東日本ではご遺骨を全部骨壷に納める(総収骨)のが一般的で、成人の方の場合は7寸サイズの骨壷を用います。
西日本の場合は足や腰・胸・腕・頭・喉仏などの主要なご遺骨のみ(部分収骨)を骨壷に納めるため、成人の方の場合は6寸の骨壺を用いるのが一般的です。
多くの場合、骨壷に入りきらない残りのご遺骨は指定された場所(慰霊塔等)にて埋葬されます。
 
骨壷のサイズについては、お墓や納骨堂によっては骨壺の入るサイズが制限される場合があるため、骨壺を選ぶ際には納骨先のことも考慮して選びましょう。
また、地域の風習次第で異なる場合もあり、お住いの最寄りの石材店等に確認してみるのも一つの方法です。
 

骨壺の素材

上記で少し触れましたが、骨壷で使用されている素材は青磁や白磁などの陶磁器が一般的です。
その他にも大理石製や金属製、ガラス製等さまざまな素材で作られています。
 
また、有田焼・瀬戸焼・九谷焼など伝統的なものから、今では自然に還る骨壷として土や紙でつくられたものまで登場しています。
 

 
近年では、シンプルなものだけではなく豪華なものや可愛らしいものなど、素材だけではなくデザインも多種多様になってきました。
 
種類が増えた背景には終活ブームの影響が考えられます。
終活の一環として生前に自分の骨壷を検討する方が増えたのです。
 
終活を行う中で自分らしさを求める方が増加したことから、さまざまなニーズに応えるため種類豊富な素材や骨壷の柄・デザインが用意されるようになりました。
 

 

骨壷の歴史

骨壷は名前やかたちを変え、現在に伝わっています。
古くから存在する骨壷の歴史について、みていきましょう。
 

飛鳥時代・奈良時代・平安時代

古代においての骨壷は蔵骨器(あるいは骨蔵器)と呼ばれていました。
 
当時は古墳時代から平安時代まで生産されていた土師器(はじき)や須恵器の甕(かめ)を用いたものが多くありましたが、中には金属製のものがあるなど多様性に富んでいました。
 
この頃蔵骨器は、直接土の中へ埋葬したり別の容器に納めて埋葬したりしていました。
 
当時は上級階級者のみが火葬や蔵骨器の使用を許されており、一般庶民が用いることはありませんでした。
飛鳥時代から平安時代にかけて、火葬というのは身分の高い人のみに許された高級な葬法だったのです。
 
そのため、ご遺骨と一緒に貨幣が入っているものなども見つかっています。
 

鎌倉時代・室町時代

平安時代から鎌倉時代へ入ると日宋貿易が開始されます。
貿易により、中国から伝わった青磁や白磁でつくられた壺を骨壷として使用するようになりました。
 
平安時代では上級階級にしか許されていなかった骨壷の使用も、鎌倉時代の中期から室町時代にかけて一般庶民にも普及していきます。
 
理由として鎌倉時代にさまざまな窯場が誕生し、地域の特性を生かした雑器がつくられるようになったことがあげられます。
 

 

江戸時代

鎌倉時代より前は身分の高い人しか火葬が行えませんでしたが、鎌倉時代以降は一般庶民にも火葬が普及します。
 
江戸時代になると、土葬の文化が残りつつも次第に火葬を選ぶ人も増えていきました。
ご遺体を小さなご遺骨にすることで、すこしでも墓地不足を解消しようと考えたためです。
 
何も用いず土の中に直接ご遺骨だけを埋葬する場合や、骨壷や布袋を使って埋葬することもありました。
 
骨壷には素焼きや陶磁器が用いられていましたが骨壷用としてつくられたものではなく、違う用途のものやすぐに手に入る入れ物で代用することも多かったようです。
 

明治時代

明治時代になると、火葬禁止令が発令されました。
神仏分離政策のひとつですが、衛生面の問題により2年後には廃止されています。
 
火葬禁止令が廃止された際、政府がすべてのご遺骨とご遺灰を持ち帰るよう通達しました。
 
そのため関東ではすべてを収骨するようになったと考えられます。
対する関西では喉仏を重要視していたため、東日本と西日本とでは収骨する量に違いがあるようです。
 
東日本と西日本で骨壷のサイズが違うのもこのためです。
 

現代

ほとんどが火葬となっている現在、一部の地域を除いて骨壷ごとの埋葬が主流となっています。
 
現在では、昔に比べて多種多様な骨壷の柄・デザインがあります。
素材も陶磁器に限らず大理石や金属、紙や土など多岐に渡ります。
 
骨壷の使用サイズは地域によってさまざまですが、分骨や手元供養として2寸や2.3寸など小さいサイズの骨壷までラインナップされるようになりました。
 
また、ペットも家族の一員という見方が広まったことにより、ペット向けの骨壷も登場しています。
  

 

まとめ

骨壷についてご紹介しましたが、いかがだったでしょうか。
 
骨壷の歴史は古代の飛鳥時代あたりまで遡ります。
日本の葬法が土葬になったり火葬になったりする中で、形を変え骨壷はこれまで存在してきました。
 
ここ数年、終活の流行にともない生前に骨壷を購入する方が多くなっています。
ゆっくりと時間を掛けて好きなものを選べるため、従来のシンプルなものではなくオリジナリティに富んだものが多く選ばれているようです。
 
もちろんシンプルな骨壷がいいと思われる方もいるでしょう。
終活の一環として、骨壷のサイズや素材など、自分の納得のいく骨壷を見つけてみてはいかがでしょうか。
 
 

 
 

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